君の居ない世界

最愛の息子を自死で亡くした母のブログです。

君のそばにいきたい

君が居ないこの世界に、少しは慣れてきたのだろうか…


心と気持ちは置いてけぼりだけど、前のような日常的なルーティンを繰り返し、日々淡々とやり過ごしている自分がいる。


君の声はまだ耳の奥に残っていて、君の、はにかんだ笑顔も、まだ目の奥に焼き付いているけど、時間がたつにつれて、それさえも薄れていくのではないかという、漠然とした恐怖と悲しみを抱き続けている。


ふとした瞬間に、君のもとにいきたくなるときがある。


物質社会のこの世界で、もういちばん大切なものを見いだせないからから。


もういちど君を抱きしめたい。


生きることへの罪悪感

君が居なくなってから、また季節が移り変わり、すっかりと秋めいてきました。


時の流れと共に、無機質だった感情も今では元のように喜怒哀楽を感じるようになってきました。


モノクロだった世界に少しずつ色がついてきて、だけど、

色がつくことへの違和感や嫌悪感が心の奥底にあり、生きていることの罪悪感が否めません。


君の苦しみを受け止めることができなかったのに、

君を救うことができなかったのに、

君は辛い日々を送ってきたのに、


お母さんは笑ってる。

お母さんは美味しいものを食べてる。

お母さんは好きなことして癒されている。


そんなことが許されていいのかな?


生きることは苦しみだけではなく、その中に楽しみさや喜びも含まれていて、そのようなポジティブな感情になる度に、君の苦しみを考えずにはいられなくなります。


君は、周りを不幸にしたくて、このようなことをしたのではないということ


それは解っているけれど、


自分の人生を生きることへの罪悪感が拭えきれないのです。


君のことだから、そんなこと気にしなくていいよって言うに違いないけれど…


連日のマスメディアの報道について

ここのところの芸能人の方の相次ぐ悲報に心が痛みザワザワしています。


きっと自死遺族でなければ、ショックを受けたとしても、こんなに苦しくて辛い思いはしていないのかなと思います。


テレビで報道を見るたびに心の傷がまたえぐられます。


あのとき、息子が亡くなったあの日に引き戻されるのです。


前に進んでいても、また凄い力で引き戻されるのです。


著名人の自死は確かに報道されるのは当然かもしれませんが、


そう何日も何回も深堀りする必要ありますか?


自死された方の遺族は今この上のない悲しみや衝撃を受けています。


どうしてそっと見守ることができないのでしょうか。


このような報道や話題を何回も目にすることは本当に心が掻き乱されます。


今、希死念慮に囚われている方にとっても変に背中を押しかねない。


凄く繊細な問題だし、精神的にも大きな影響を与えるということを、マスメディアはもっと考えてほしいです。


自死はわからないことばかりです。


テレビで、「悩んでる人は誰かに相談してください」と簡単に言うけれど、本当に追い詰められて死のうとしてる人は誰かに相談なんかしません。


「精神科を受診してください」と簡単に言うけど、新規の患者は受け入れてくれないとこたくさんあります。


日本の精神医療はあきらかに遅れています。


マスメディアはそういう現場を報道して話題にすべきだと思います。