叶わない願い
私の中ではずっと、「息子が自死した」というより、「息子に自死をさせてしまった」という気持ちの方が強いです。同じ自死遺族でも、それぞれ抱えている背景は違うので、これはあくまでも私の場合です。もし、読んでいて気分を害された方がいたら、申し訳ありません。
まだ学生だった子どもを死なせてしまった。
まだ人生これからというときに、人生の絶望を感じ一人孤独と苦しみに耐えてきたあの子のことを思うと、母親としての無力さと自分自身の愚かさにやり場のない怒りを覚えてしまいます。
その怒りの矛先は自分であるはずなのに、息子が亡くなって1年たった今、おいしいものを食べ、テレビを見ては笑い、欲しいものを買い、悲しみに蓋をして、苦しいことから逃げるように元のような生活をしている自分がいます。
空虚な世界、息子のことを思わない日は1日たりともないけど、生きている自分がいる。
物質世界のこの世の中で生きようとしている自分がいる。そんな自分に嫌気がさします。
全ては私の子育てが間違っていたせい。自分自身の未熟さと愚かさのせいで息子を傷つけてきました。人生は辛いことも多いけど、楽しいことや喜びや愛に満ち溢れていることを教えてきませんでした。
私はあの子に何を望んでいたのだろう・・・
あの子の心の叫びがきこえないまま、私は母親面をしてきました。
本来であれば世界でたった一人の味方のはずが、そうじゃなかった。
死んだら会えると信じることはできるけど、今あの子に触れることができないことが辛いです。
あの子にどうしたらお詫びができるのか。
供養をするしかないと周りは言うけれど、生きているときに謝れなかったこと、愛してると伝えられなかったことが何よりも辛いです。
時間が戻ってほしい。叶えられない願いを今も思い続けています。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。